いきなりですが、この記事を見てくれているあなたに質問です!!
30人の子どもたちに勉強させたい時、あなたはどちらの行動に移りますか??
さあ、どちらを選びましたか??
もしかすると、①②の選択肢にない方もいらっしゃるかもしれませんね。
私は、子どもの頃、①のような大人を好きになれず②が理想の大人だ!!と教員になりました。しかし、②もうまくいかず、結局①のように厳しくしなければいけないのか?!と自分の考えに迷いが出た時もありました。
その後、試行錯誤していく中で「これだ!!」となったものがあります。それは、「選択肢を残したまま人を望ましい方向へと誘導する」という技です。
今回は、この技と管理主義、放任主義について哲学者であるホッブズとルソーの考え方から解説していきます。
- 学級経営に悩んでいる先生方
- 子どもの集団と関わっている方
学級経営って難しい…
教員は学級担任を任されると、教室の経営も行わなければいけなくなります。
いわゆる学級経営というものです。
この学級経営はうまくいけば子どもたちは楽しく学校生活を過ごすことができるし、教員も楽しくてwinwinです。しかし、うまくいかなければ学級崩壊が起きてしまいます。
それくらい、学級経営は重要なものです。
しかし、この学級経営はなかなか難しいものですよね。
学級経営は多くの場合、2つに分類されます。「子ども達を厳しく占めた方が学級経営はうまくいくよ。」といった管理主義と「子ども達は自由にさせたほうがいいよ。」といった放任主義です。
結論から言うと、どちらも偏ってしまえば学級崩壊の危険性があります。
それでは、国家について考えた哲学者の意見を踏まえて2つの学級経営について解説します。
管理主義とは支配
管理主義国家の考え
国家には支配者が存在します。この考え方は当たり前ですが、その当たり前を疑う哲学を行なった人物がいます。
「なぜ、国家には『支配者』が必要なのだろうか?」この問いに対する答えを考えたのがイギリスの哲学者ホッブズです。
ホッブズの答えとは、
「人間は、自分勝手で極悪で利己的な生き物である。ゆえに、彼らを放置しておくと、欲望のままに利益を求めて殺し合うだろう。だから、人間たちは、その殺し合いに終止符を打ち、互いに共存するために『架空の支配者』を作りだし、国家という仕組みを作り上げたのである。」
引用元;史上最強の哲学入門
というものです。
つまり、みんなが互いに争わないように支配者を作り、国家を作ったという流れになります。
ホッブズ曰く、自然状態(誰も権力を持たず、法律もない状態)で放置すると、自分の生存と利益のために、互いに殺し合うようになるようです。
管理主義の学級経営
それでは、このホッブズの考え方を学級経営の視点に置き換えましょう。ここでは支配者=教員と置きます。
さて、ホッブズは放置すると殺し合うと言っていました。これを子どもに置き換えると、殺し合うとまでは行かなくとも、
- ケンカし放題
- 言うことを何も聞かない
と言う姿が容易に想像することが可能です。
そこで管理主義をして本人の利益や安全を守れるというメリットがあれば、管理主義も良く聞こえるでしょう。例えば、宿題の強制を行うことで成績アップという利益があります。このように、子どものためを思って管理していきます。
しかし、このままでは、本来育てなければならない好奇心は育ちません。子どもの中には、うまくサボろうという考えが生まれるでしょう。そしてその考えを規制するためにさらに管理するという悪循環が生まれます。
また、管理主義だと大人は口うるさくなってしまうため、子どもは怯えてしまい、信頼関係も築きづらいと言う点も挙げられますね。
放任主義について
放任主義国家の考え
ホッブズの言うように、無法な暴力世界を避けて平和に過ごすためには、喜んで王に服従しなければならないのでしょうか。
この意見に反論したのがフランスの哲学者ルソーです。
ルソーは、ホッブズの意見に対してこのようなことを言いました。
「人間が自然状態に戻れば殺し合うなんてことは決して起こらないよ。その証拠に、不便な田舎を見てよ。みんな互いを憐れみ、助け合って生きているじゃないか。むしろ、文明化された便利な都会の方が、人間同士で騙し合い、憎み合っているぐらいだ。つまり、文明以前の国家がない状態になれば人間同士が互いに殺し合うだろうというホッブズの前提はそもそも間違っているんだ。」
引用元;史上最強の哲学入門
彼によれば、人間は国家などなくても互いに助け合って生きていける平和的な生き物です。そこに少数の知恵を持っている者たちが現れ、他者から搾取して楽することを覚えてしまい、国家や身分という仕組みができたのだと言います。
この考え方ならば、支配者は必須の存在ではなくなります。こういった考えをもとに、ルソーは真の権力者は王ではなく、民衆であると謳いました。
放任主義の学級経営
さて、このルソーの考え方も学級経営の視点に置き換えます。すると、教室の主役は子どもたちになります。
これは一見当たり前のように思えますが、常に子ども達の前に立つ日本の教員の多くは忘れがちです。
例えば、授業作りの際に「〜を教えよう」と考えていれば主語は教員になってしまいますよね。あくまで子どもが主役なのですから、「子どもが何を学ぶのか」を重視して授業作りしなければなりません。
このように、「子どもが主役」という考えには大いに賛同できます。
しかし、国家がなくては法律(ルール)もなしです。放任主義にすれば、自由を制限することがないので、子どもはのびのびと成長するかもしれませんが、その保証はできません。そのため、自由にすれば成長する子もいますが、成長しない子も当然現れてしまいます。
また、完全な自由を与えてしまうと、頭の中では利益になるとわかっていることもだんだんとだれてしまい、できなくなる経験をしたことがある方も多くいるのではないでしょうか。
さらに、頭の中の自分とできない自分の矛盾により自信がなくなるという悪循環も生まれます。
管理主義でも放任主義でもない学級経営
選択肢を残したまま子どもを望ましい方向へと誘導する
管理主義もダメ、放任主義もダメ、となれば子どもに考えて行動させることが良いと考えました。その上で望ましい方向へと誘導することが教員の役目です。
例えば、机の位置を水性ペンで床に書いておきます。すると、「机を整頓してください」と口うるさく言わなくても、子どもたちは整えようとするでしょう。
このように、子どもが自分で選択して行動しているように思わせる仕組みを作るのです。
他にも、遊びを子どもたちに企画してもらったり、遊び道具を置いてコミュニケーションを自然と行ってもらったりしました。すると、「クラスで仲良くしなさい」と言わなくても、勝手に仲良く遊んでくれました。
感謝を伝える
最後に、望ましい行動をし始めた子どもに感謝を伝えましょう。
もちろん褒めることも良いかと思いますが、褒めることは立場に上下関係が生まれます。例えば、先輩教員に「今日も授業できてえらいね!」なんて言いませんよね。
つまり、褒めてしまうと教員が上の立場ということになり、うっすら支配者のようになってしまいかねません。
しかし、感謝を伝えることは、対等な立場でも行われます。机を整頓していた場合は、それが当たり前と思わず、「机綺麗に並べてくれてありがとう。」と伝えましょう。
すると、子どもたちは喜んでまた机を綺麗に並べます。
また、日ごろから、子ども達に感謝を伝えることでその行為に価値づけができ、さらに教員との信頼関係が生まれるでしょう。
まとめ
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、学級経営についてホッブズとルソーの国家論から考察し、私自身の経験を含んだ今後の学級経営のすすめの記事を書きました。
選択肢を作り、管理主義でも放任主義でもない、子どもが望ましい行動を選ぶような仕組みを作る学級経営がおすすめです。
そして、望ましい行動をした際には、感謝を伝えることを忘れないでください。そうすることで子どもたちは自分で考えて行動し始め自信もつきます。
また、教員自身の悩みも減るため、余裕を持って子どもと接することができますよ。